360年続く九谷焼の歴史の端に自分がいるんだと思うと、興奮します。これからも販売することで地元に貢献していきたい
「昨年はウルトラマラソンで100キロを完走したんですよ。妻には、なんでも夢中になりすぎると怒られています」と笑顔を見せるのは、Amazonで九谷焼を販売している「和座の蔵」の竹内幸生さん。大学では競技スキーに没頭し、群馬県代表として国体で入賞した経験を持つ体育会系。彼の15年間を振り返れば、スキーで身に着けたチャレンジ精神と継続力、そして冷静な判断力が彼の強みであるとわかる。
現在、石川県に住む竹内さんだが、生まれ故郷は群馬県の水上温泉。大学卒業後は、バブル経済崩壊の影響を受けて経営が傾きかけていた実家の和菓子店を兄弟3人で立て直し、その後地元の旅館に就職。その旅館で才能を買われ、責任あるポジションに就くことができた。しかし、そこで竹内さんは立ち止まる。すでに結婚し、一人息子が誕生していた。手を抜けない性分のため責任が重くなるとともに仕事が増え、勤務時間は長くなった。土日の休みも取りにくい。春に息子が保育園に入園したら、息子の寝顔しか見られなくなる。「いったい自分は何のために働いているのか」。そう思ったとたん、虚しさがこみあげてきた。
竹内さんは思い切って、息子の保育園入園を前に6年間勤めた旅館を辞め、妻の実家がある石川県能美市への移住を決断した。2003年のことだ。
妻の実家は、義理の祖父が始めた九谷焼の窯元で、義理の父親は九谷焼の販売を手掛けていた。それまで陶芸の世界とは無縁だった竹内さんだったが、一から勉強するつもりで飛び込んだ。
「最初の一年は、土地勘もなければ、何もかもわからないことだらけでした。移住して落ち着いてきた頃に、1年間、週に1日、石川県立九谷焼技術研修所の実習科に通いました。忙しい中毎週1日、時間を作るのは大変でしたが、実際に自分が手を動かして学ぶことができたのは良い経験でした。九谷焼の技術について何も知らないと、職人さんに相手にしてもらえないこともありますから。講師を務められていた各技法の第一人者の先生方とも知り合えたことも、その後の人脈形成の助けになりました」
360年の歴史を持つ九谷焼は、その華やかさから明治期には欧米への輸出品の花形として人気を博した。効率性を高めるため、一人の職人がすべての作業を行うのではなく、器の形をつくる生地師、色絵付けをする上絵付師など分業制での生産が主流となっている。上絵付の有名作家は個展を開催するなど独自の販路を持つが、量産される商品の流通は主に地元の問屋が担う。九谷物産株式会社では、加入している産地組合で制作するカタログ掲載商品の約2,500点を中心に販売している。
義父の時代には、バス旅行で金沢を訪れる観光客に販売するために国道沿いにショールームを構えていたが、国道の移転と共に客足が遠のいた。好評だったカタログでの通信販売の売り上げも不景気のあおりを受け年々減少傾向にあった。
移り住んだ最初の年には、これまでの接客経験を活かし各地に営業に出向いたが、新規の取引先を見つけることは困難だった。そんな中、竹内さんが目をつけたのが、インターネット販売だった。組合の商品カタログによる発注システムとインターネット販売の相性の良さに気づいたのだった。
「営業に出向く労力と時間に対して売り上げが割に合わないと感じていました。今から15年前ですから、インターネット販売はまだ一般には浸透していない時代でした。そのため、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で始めたんです。周囲からは反対されることもあり、最初は大変でしたね。組合員の方たちから学ぶところは多かったですし、理解してくれる方が増えていき、僕がこの地に根差していけるようになったのは組合があったおかげです」
2008年にはAmazonでも販売を開始。同年にAmazonが商品の保管・受注・出荷・カスタマーサービスまでを行うフルフィルメント by Amazon(FBA)の利用を開始すると、売り上げは大幅に伸びていった。
「FBAは、僕らが休みの日でもAmazonが商品をお客様に発送してくれるので、本当に夢のようなサービスだと思いました。FBAを始めてからより売り上げが伸び、事業も安定していきました。Amazonで売れる商品があると、ほかの地方の小売店からも『うちでも取り扱わせてほしい』という問い合わせがきて販路が広がることもあります。Amazonで売れることで若い世代の方にも九谷焼の認知度が上がり、ひいては産地全体が底上げされるような感じがあります」
竹内さんは、販売や研修所で学んだ知識を活かし、作家や窯元と共にオリジナル商品の制作にも力を入れている。製品化された折り鶴の置物「九谷焼 色絵折り鶴」は、2013年の国土交通省観光庁主催の「魅力ある日本のおみやげコンテスト」で受賞するなど、高い評価を得ている。
「僕らは、アイデアがあっても、作ることはできません。職人さんや作家さんたちと相談しながら商品を作っていくのはとても面白いです。職人さんの仕事がなくなってしまっては、九谷焼の技術が途絶えてしまいます。商品が売れることで、職人さんや産地全体の仕事が増え、技をつないでいくことができる。そうした面で少しは産地に貢献できているかなと思います」
日本での成功を踏まえて、竹内さんは2014年からアメリカのAmazon.comでの販売を開始した。先駆者がいなかったため最初のうちは関税手続きなど戸惑うこともあったそうだが、根気強く自分で調べながら、道を切り開いていった。
「外国の方が多く訪れる観光地で育ったためか、子どものころから漠然と海外との取引をしたいという思いがあったんです。それに海外にも九谷焼を気に入ってくれる方がいるということが面白いし、うれしいんです」
石川県に移り住んで15年。竹内さんの事業は安定し、定期的な休みが取れるほどまでに時間的な余裕が生まれてきた。保育園入園前だった息子さんは今では大学生となり、陸上に打ち込む毎日を送っている。竹内さんは息子の練習や大会への送迎を担うなど、息子を応援しながら、自分でも息子に負けじと数年前からウルトラマラソンに挑み始めた。
家族との時間を大切にしたいという願いを叶えた九谷焼に対して、竹内さんは思いを新たにしている。
「能美に来て、九谷焼に携わることができて、360年続く歴史の端に自分がいるんだと思うと、興奮します。これからも販売することで地元に貢献していきたいですし、技術を次の世代につなげていきたい。そのためにも九谷焼の魅力をもっともっと多くの方に知っていただきたいと思っています」
和座の蔵の竹内幸生さんを紹介しているAmazon「にっぽんをつなぐ」のビデオも併せてご覧ください。