「目の前の課題を解決するためにひたすら動いてきたら、仲間も増え、世界が広がりました」
北海道のほぼ中央に位置する占冠(しむかっぷ)村は、山々に囲まれ、清流が流れる自然豊かな場所。夏は30度、冬はマイナス30度以下になることもあり、年間での寒暖差が大きい気候は、メープルシロップの産地カナダに似ているとも言われる。
原野知有紀さんが、「地域おこし協力隊」の1人として占冠村に降り立ったのは、2015年11月のこと。ちょうど雪が降り始める頃だった。
「最初は不安だらけでした。ペーパードライバーでしたし、雪国での暮らしは初めてだったので」と照れたような表情で当時を振り返る原野さん。
和歌山県のミカン農家で生まれ育った彼女は、旅行会社勤務後、ワーキングホリデーを利用してフランスに滞在。そこで建築やまちづくりに興味を持ち、帰国後2級建築士の免許を取得。東京の設計事務所で営業と設計の仕事に就いたが、やりたかったまちづくりの仕事にはかかわれなかった。そのため仕事を辞め、3年間村のために働くことができる地域おこし協力隊に応募したのだ。
「最初は、地域の皆さんの家を回る集落支援員の仕事を担当していたのですが、だんだん自分が何をしたいのか、わからなくなってしまったんです。そんな時にメープルシロップづくりに誘っていただき、仕事にすることができました」
村役場の林業振興室では、村の森林資源の活性化を図るため、化石燃料の使用を止め、間伐材を燃料として利用する取り組みを始めていた。村のシンボル木のイタヤカエデの樹液からメープルシロップをつくることは、林業従事者の冬場の仕事と、村の新たな名産品を生み出すことを目指して試験的に開始されていた。生産は、村の林業従事者と機械製造の技術者が中心となって結成された、占冠村木質バイオマス生産組合に委託することになり、原野さんは生産をサポートし、販売を促進する役目を担った。メープルシロップを煮込む鍋も、間伐材を利用できるボイラーも組合員が手作りし、生産方法も試行錯誤をしている段階だった。
樹液の採取は、春先のまだ雪が深い頃から、林業の仕事が再開される雪が消える頃までしか行えない。夜間の寒さで凍った樹液が解けるのを待ち、午後から作業を開始する。集められた樹液は収穫後すぐに煮詰め始める。
「どのくらい収穫できるかは、その日になってみないとわかりません。自然相手の仕事なので、時間との勝負になることもあります。1年目はなかなか煮詰めることができなくて、せっかくとれた樹液を無駄にしてしまい、悔しい思いをしました」
それでもなんとかメープルシロップをつくりあげた原野さんたちは、村の山菜加工場の協力のもと瓶詰めを行い、ラベルも手作業で貼り付け、ようやく占冠村産のメープルシロップ「トペニワッカ」を誕生させた。しかしその数はわずか200本。商品を流通させるには少なすぎる量だった。
2年目は、ボイラーの熱効率を高めたことで煮詰める速度が上がり、効率的に生産ができるようになった。しかし今度は販売が追い付かず次の春になっても約100本が余ってしまった。もっと積極的に販売したいという思いと、行政機関である役場の事業という立場の板挟みになり、もどかしい思いもした。それでも、村内でのイベント開催や樹液の採取体験ができる体験ツアーを開催するなど、この活動の理解者を増やす努力を地道に続けた。
転機が訪れたのは、メープルシロップづくりが安定してきた3年目のこと。原野さんにとっては、地域おこし協力隊として最後の年となることもあり、なんとしても関係者の苦労を結実させたいという思いがあった。そのため積極的に広報活動を行い、各地の産品を紹介するイベントなどにも参加した。そして農林水産省が主催する「フード・アクション・ニッポン アワード」に応募したところ、1,125の応募商品の中から最終選考会に出場。トペニワッカの魅力を丁寧に伝え、そして見事にわずか10点の受賞産品の一つに選ばれた。
「審査会のプレゼンテーションではあまり手ごたえが感じられなかったので、受賞式で名前が呼ばれたときは本当に驚きました。木質バイオマス生産組合の人たちを始め、村の人たちもとても喜んでくれました」
審査員としてトペニワッカを選出したアマゾンジャパンでは、流通量が少ない商品でも販売できるインターネット販売の強みを生かし、2018年11月からAmazon.co.jpでのトペニワッカの販売を開始。新たな販路を得たこともあり、2018年春に収穫した分は順調に完売した。
トペニワッカの知名度は上がり、販路が広がったほか、村内の道の駅では1本5,000円という価格にもかかわらず、日によっては数本売れるほど売り上げは好調。今では生産設備も整い、瓶詰などすべての作業を木質バイオマス生産組合で完結することができている。
「この3年間は振り返ってみると、忙しくて、刺激的で、あっという間でした。何かを成し遂げたというよりは、目の前の課題を解決するためにひたすら動いてきたら、仲間も増え、世界が広がったという感じです。人気が出たことで、メープルシロップづくりに携わっている人たちも、商品に誇りと愛着を持ってくれるようになったことも、うれしいんです」
現在は村の嘱託職員として働いている原野さん。今後もメープルシロップの販売を通して、村の良さを知ってもらえるよう活動していきたいという。
「今年は樹液を採取するエリアを広げ、採取期間も延ばしたので、生産量をより増やすことができました。イタヤカエデの群生地が新たに見つかったので、来年はもっと増産できるかもしれないと期待しています。これから産業として育てていくために、村外から協力してくれる人がもっと増えたらいいなと思っています。メープルシロップを気軽に味わっていただけるカフェを出店するのが、今の夢です」
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